中世ヨーロッパの風景 < 城について >

3.封建城郭の分類


キープによる封建城郭の分類

城郭は、まずキープKeep(ベルクフリート、ドンジョン)の有無で分類できます。
そして、キープを備えた城は、

(1)輪型キープ城郭、(2)矩形キープ城郭、(3)円筒形キープ城郭、

キープを備えていない城は、

(4)囲郭城郭、(5)同心円的城郭、(6)後期城郭

に分けられます。

(1)輪型キープ城郭(シェル・キープ城郭)

 シェル・キープShell Keepとは、貝殻のように内部が空のキープです(フランス語では、貝殻城壁(アンサント・コキーユ))。モット上の土塁や木柵にかわり、比較的低い城壁を丸く巡らせて、石材の建物を差し掛け的に建て、中央に円形の庭を残したもの。
 イギリスでは、12世紀後半〜13世紀に見られます。

[例]ピッカリング城址(イングランド北部、ノース・ヨークシャー)
   ウィンザー城(ロンドン南西約36km、バークシャー)

(2)矩形型キープ城郭

 グランド・プランは四辺形で、大型のものは副塔を追加しています。四辺形やその組み合わせを基本とします。
 使用石材や築城技術から、イギリスでは12世紀頃のものが一般的です。

[例]ポーチェスター城内郭(イギリス東南海岸、ノーフォーク〜ハンプシャー)
   ロンドン塔のホワイト・タワー
   シヨン城(スイス、レマン湖東端モントルー近郊)
   ロッシュ城(フランス)

(3)円形型キープ城郭

 文字通り、円塔キープを備えた城郭です。
 イギリスでは12世紀後半からみられました。このころから、ロッシュ城やピエルフォン城の半円形塔など、円塔が壁塔や隅塔にも用いられはじめました。

[例]ペンブロク城(ウェールズ、ミルフォード・ヘイブン湾)
   ブルク・カッツ(ドイツ、ライン流域、ザンクト・ゴアースハウゼン)
   サンタンジェロ(聖天使)城(ローマ)
   ニュルンベルク城(ドイツ)のフェストナ塔

(4)囲郭城郭

 囲郭の壁面や角部を円筒形の塔で固め、囲郭の内部に内庭を囲んで宮殿的建築物や礼拝堂を築いており、別名コートヤード・カースル(Courtyard Castle)ともよばれる城。
 しばしば囲郭の出入り口に門楼式宮殿(Gate-House Palace)が設けられています。囲郭全体がキープのような機能をもち、門楼式宮殿が中核的性格をもっています。
 イギリスでは、13世紀後半〜14世紀にみられます。

[例]コンウェー城(北ウェールズ)
   カーナボン城(北西ウェールズ、メナイ海峡)
   ピエルフォン城(パリ北東約70km、コンピエーヌの森)

(5)同心円的城郭

 もっとも重要な囲郭を中心として、同心円的に城壁が幾重にも取り囲むようなグランド・プランをもつ城。壁塔や隅塔は、たがいに弓矢の射程距離内におかれ、内城壁は外城壁よりも高く築かれ、二城壁の間隔は比較的に狭く、やはり弓矢の射程距離内にありました。さらに城壁や塔の頂上部分には、ホーアディング(張り出し板囲い)、マチコレーション(張り出し狭間)などが設けられ、城壁に接近した攻城軍に対して有効な攻撃ができるようにしていました。
 イギリスでは13世紀末〜14世紀中頃にあらわれ、“エドワード式城郭”とよばれます。

[例]ハーレック城(ウェールズ、メリオネス州)
   ボーマリス城(北西ウェールズ、アングルスィ島)
   コカ城(スペイン、セゴビア)
   カルカッソンヌ城壁市(南フランス、オード県)

(6)後期城郭

 14世紀後半から、領主層は一般に生活に不便で古い城郭より、防御設備を施した屋敷城で生活するようになります。それはより装飾的なものとなりました。イギリスでは、四辺形城郭(Quadrangular Castle)といわれています。グランド・プランは、中央に小さな中庭を囲み建物が並ぶ四辺形になります。

[例]ボーディアム城(サシックス)
   ムイデン城(オランダ、アムステルダム近郊)
   フレデリックスボー城(デンマーク)
   ブロア城(フランス、ショーモンからロアール河上流約20km)
   シャンボール城(フランス、ロワール河畔、ソーローニュの森)

フランスの城郭にみる塔型の変遷

 フランスと比べるために、イングランドの話からします。中世のイングランドは、国土全体が1人のノルマン朝の国王と、王に従うノルマン貴族によって統制されていました。城郭形式も全国的に統一されており、地方による変化はあまりみられません。
 ノルマン朝を中心に構築された、レクタンギュラー・キープ(矩形型キープ)をみると、ロンドン塔、ドーヴァー城、ロチェスター城、いずれも同一形式です。

 一方でフランスは、中世を通じて強力な統一国家体制を敷くことができませんでした。
 ノルマンディが早くからイングランド領であり、後にイングランドのヘンリー2世(在位1154-89)の時代、アンジュー地方など広大な地域がイングランド領になるという事情があったからです。イングランドと隣り合わせだっただけではなく、フランスの中でも多くの諸侯が群雄割拠し、しのぎを削りあいました。それで、イングランドに比べると、フランスの城郭建築には地方色が濃くみられるのです。

 11世紀頃、初期のフランスの城郭を大別すると、モット・ベーリィ形式と矩形型ドンジョン形式に分かれます。モット・ベーリィ形式や、これから発達したシェル・キープ形式は、現在のフランスではほとんど見られません。ノルマンによりフランスにもモット・ベーリィはたくさん造られたのですが、どうも後世に残らなかったようです。ジゾール城などわずかに残るモット城郭は、イングランド側が建造したものでした。

【コラム】ジゾール城

 その一方で、レクタンギュラー形式は、フランスでも初期の好例が見られます。この形式は、ローマ時代の軍事施設にあった矩形塔から発達したと思われます。ノルマン人は、フランスで矩形型キープの経験を積み、それをイングランドへ持ち込んだのでした。
 フランスでの最初期の矩形型キープには、ロワール河の中ほどに流入するアンドル河に臨むロシュLoche城があります。

 矩形型から円形型のキープ(ドンジョン)への移行は、フランスではイングランドよりも早くおこりました。矩形型ドンジョンには、四隅の角部が破城槌などによる攻撃に弱い、という弱点があります。そこで、ドンジョンを円形型に近づければ、弱点である四隅を強化できるというわけです。

 たとえば、パリの西方約50kmに、モンフォールのアモリ3世が建てたウダンHoudan城(建造1120-37)があります。この城のドンジョンは円形で、その四隅には小さな円塔が一つずつ配置されていました。
 また、パリの東南方約60kmに、シャンパーニュ伯が建造したプロヴァンProvins城(建造1150頃)ではどうかというと。城の外城壁は隅を丸くした四辺形で、中央には八角形のドンジョンがあり、その四隅には円塔が一つずつ配置されていました。

 隅への攻撃に強くなった円形型ドンジョンですが、別の問題が生じました。城壁の側面にへばりつく敵を、小塔から攻撃する際の有効範囲が狭められたのです。
 この問題への解答の一つが、パリの西南方約30kmに建てられたエタンプEtampes城(建造1140年頃)です。この城ではドンジョン全体をハート状、四つ葉クローバー型(英語で四つ葉はQuatrefoil)にすることで前述の問題を解決しました。

【コラム】シノン城



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