<<中世ヨーロッパの風景>>

文責:左馬

<騎士について>

「汝、勇士よ、剣を腰に帯びよ」
            (詩編・第四十五編)

0.はじめに

 中世ヨーロッパ風ファンタジーというと、まず思い浮かべるのが「騎士と城」のイメージです。ロランの歌、アーサー王と円卓の騎士、英雄ジークフリート……、中世西欧の伝説の主人公たちの顔ぶれから、騎士を外すことはできません。
 RPGにもまた、騎士のキャラクターが登場することがあります。しかし、普通のプレーヤーは、大まかなイメージに頼ってプレイするにとどまっています。
 けれども、「騎士らしく」格好いいロールプレイができたら、PCやNPCの存在感が際立ち、セッションがさらに面白くなると思いませんか?
 そこでこの記事では、生き生きした騎士をロールプレイするにはどんなことを知っておくのがいいか、思いつくまま書いてみました。

1.騎士の武装

 みなさんは、騎士というとどんなイメージを思い浮かべますか?

 磨き抜かれた鋼鉄の鎧兜をまとって馬にまたがり、ランスと盾を構えて威風堂々と歩を進めるその姿。鉄甲をはめた手で面頬を押し上げ、豪奢なマントを風に翻し、何者をも恐れぬ眼で敵陣を見降ろす……といったところでしょうか。
 このような武装が現れるのは、実のところ15世紀以降、騎士道が終わりを迎えようとしていた頃のことです。現実に活躍していた騎士たちは、私たちが想像するより軽装だったようです。RPGを楽しむときには、あまり気に留めないことですが……。

 では、武装の各々について見ていきましょう。

(1)剣

 剣は騎士にとって特別な武器でした。戦いでも祝祭でも、騎士はつねに剣を身につけていました。剣は馬と並んで、騎士の自由身分たる証だったからです。鋼鉄が希少な時代、良質な剣を求める心は、剣に名前をつけるまでに至りました。エクスカリバーやデュランダルをはじめ、英雄叙事詩に残る名剣の数々を見てもお分かりでしょう。
 両刃の剣は、片刃の日本刀と違い、「斬る」よりは「叩き斬る」ための武器です。上下に振り下ろす勢いで相手を殴りつける、刃がついた鋼鉄製の棍棒と考えて良いでしょう。重量は、約1〜2kg、重くても3kg程度のものでした。軽そうに聞こえますが、細長い形のために取り回しが難しく、剣を意のままに扱うには熟練を要しました。極端なものだと、幅16cm、長さ140cmという怪物級の剣が使われた記録があります。


(2)槍(ランス)

 槍は、馬上の騎士にふさわしい武器です。「騎馬突撃」とは、槍を脇に低く構えて保持し、密集隊形を組んで敵陣に突入する騎士独特の戦法です。その長さは3〜4m、重量は6〜8kgと、扱いはかなり厄介です。穂先は鋼鉄製で、柄はとねりこなど強靱な木材を使用し、柄の断面は四角形か八角形でした。騎馬槍試合では先の丸い槍が用いられましたが、練達の騎士はたやすく相手を鞍から突き落とすことができました。
 ローマ時代には投げ槍も用いられましたが、騎士の全盛期にはほとんど使われなくなっていました。ちなみに、馬上で槍を携行するときは、斜め上に穂先を向けます。


(3)その他の武器

 剣や槍以外にも、短剣、戦斧、棍棒(メイス)、六尺棒(クォータースタッフ)、から竿(フレイル)、鎖付スパイク鉄球(モーニングスター)、戦鎚(ウォーハンマー)、槍斧(ポールアックス)などが用いられました。


(4)盾

 盾は、古くから有効な防具でした。中世の盾は木製で鉄鋲が打たれ、外面にはなめし革、上等な盾は金属板で補強されていました。長さは1〜1.5mと大きく、騎乗の邪魔にならないように下部の尖った二等辺三角形をしていました。騎士は、盾の裏側中央の鉄具に手をかけて持ち、さらにベルトで首から吊していましたが、これもその重さを支えるためでした。
 盾に描かれている「紋章」は、騎士の家柄を見分ける印です。12〜13世紀以降、紋章の図案はどんどん増えて複雑になり、専門の紋章官が必要になりました。


(5)鎧

 一般的な騎士の鎧は、鎖かたびらでした。これは分厚い胴着に何万個もの鉄輪を縫いつけた代物で、重さは約15kgに達しました。手首から膝下までをすっぽり包むもので、柔軟性はありましたが、従者に手伝ってもらわないと着るのは大変だったようです。
 それに槍や弓矢など尖った武器には弱く、14世紀に登場する板金鎧にくらべると防御力は低いものでした。鎧の下には、綿を詰めた緩衝帯−「鎧下」をつけて、打撃の衝撃を吸収したり、皮膚が鎧に触れて傷つかないようにしました。
 後の時代に現れた板金鎧ともなると、全身これ鉄の塊といった格好で、防御力はほぼ最高を誇ります(弩には負けましたが……)。しかし、約25kgとあまりに重いために速度が鈍り、実戦では歩兵のいい標的になったようです。また、戦闘の最中に倒れて窒息死した騎士も少なからず記録に残っています。


(6)軍衣

 鎧の上には、紋章入りの軍衣(サーコート、クルズィート)を羽織りました。これには、豪奢な外観を装うだけでなく、雨や泥などの湿気や日光による炎熱から鎧を守る実用的な役目もあったようです。


(7)兜

 兜は、鉄板を鋲でつないで頭部を覆ったバケツ状の防具です。13世紀に発達し、最初は天辺が平らで、後に丸くなったり尖ったりしました。兜の内側にも裏地があててあり、さらに内側には鎖頭巾や鉄帽子をかぶるのが一般的でした。兜が3kg強ですから、相当な重さが頭にかかるわけで、騎士たちは戦闘や試合の直前になって兜を着用していました。眼の部分には細い覗き穴が空いていて、正面だけは視界が利くようになっています。
 特に騎馬槍試合の時には、兜の上に布地や革で獅子や竜を象った「兜飾り」がつけられて、騎士の装いに華を添えていました。


(8)馬

 最後になりましたが、馬こそ騎士のもっとも良き友といって過言ではないでしょう。中世という時代、馬は一財産であり、馬を飼育し訓練することは自由身分と財力の証でした。騎士にとって、馬は必須の移動・輸送手段です。戦時に食糧・武器を運搬するため、正騎士1人は5〜6頭の馬を必要としました(経済力にも左右されますが)。
 馬の世話は大変です。1日2〜3回餌をやり、馬櫛で毛並みを手入れし、馬小屋を清潔にしておかねばなりません。馬1頭の食事は、穀物のみで比較すると、人間の10倍以上に匹敵するほど大食いです。籠城に備えて、飼い葉の備蓄は欠かせません。
 中世西欧の馬は小柄ながら、品種改良のために、力強く重荷に耐える頑丈な動物でした。14世紀になって鎧が重量化するまでは、騎乗した騎士たちはまだまだ俊敏に移動することができたのです。貴族の女性たちも乗馬しましたが、後に見る横乗りではなく、ふつうにまたがっていたようです。

2.騎士の精神

 前の節では武装について述べましたが、立派な騎士になるには、剣や鎧を自慢する前に、守らなければいけないことが幾つもあります。
 中でも大事なのが、騎士の義務である、三つの奉仕です。

(1)主君への奉仕

 物語のなかで何度も語られるように、騎士とは、主君に対して誠実であることが求められました。主君の命令とあれば、いかなる敵にも臆せず立ち向かい、これを打ち倒す。それが、騎士の誉れだとされたのです。


(2)教会への奉仕、弱者の保護

 騎士は、信仰を守る戦士でもあります。神に敬虔であり、困窮した未亡人、子供、孤児を保護することは聖なる義務です。弱い人々を哀れみ、その苦しみや悲しみに対して戦うことで、騎士の名声は高まります。


(3)貴婦人への奉仕

 吟遊詩人たちの語る騎士道のロマンは、愛する女性への奉仕によって彩られます。これは高貴な貴婦人に捧げる敬愛と見るのが分かりやすく、いまの恋愛とは違って、社交的に洗練された遊戯(ゲーム)だと考えた方がいいようです。

 他にも、騎士には様々な徳を持つことが要求されます。いちばん重要なのが勇敢と忠誠ですが、他にも、自制心、謙虚、勤勉、明朗、節度を保つこと、寛大さ、精神の高貴さ、優しさ、慈悲、隣人愛などなど……。理想の騎士像とはかくも厳しいものか、と思わせるほど多くの項目が並んでいます。
 むろん、ここに挙げた徳目をすべての騎士が備えていたわけではありません。その闘争という本質ゆえに、現実の騎士には無教養で不作法な荒くれ男たちが多く、こうした理想的な騎士道の実践が少なかったことは否定できません。

 しかし、RPGで騎士をロールプレイするとき、「現実の騎士はこうだったから」という理由で乱暴を働くのを正当化することは止めたほうがいいでしょう。もちろん、プレイしている世界観にも左右されますが、「騎士らしさ」という言葉が持つ香りを大事にするプレーヤーにこそ、騎士のキャラクターはふさわしいと私は思うのです。

3.騎士になるまで

 中世の騎士たちは、どのように少年時代を過ごしてきたのでしょうか? その成長ぶりを少し見てみましょう。

 騎士の家に生まれた子は、その子供時代を乳母や他の女性たちと過ごします。先に馬の首の付いた棒にまたがって走る木馬遊びに高じたり、吹き矢や手製の弓矢を持って山野を駆けまわったりして楽しんだことでしょう。子馬を与えられ、乗馬に親しむ基礎をつくる時期でもあります。

 7才を迎えると、「人生の厳しさ」、職業教育が始まります(これは、騎士に限ったことではありませんが)。父親は、少年を親しい騎士に預けて修行させます。騎士に必要とされるのは、学問よりも、武芸実技の力と技、そして宮廷作法でした。
 武芸修行としては、剣術、槍術、格闘技(レスリング)、乗馬だけでなく、走ったりよじ登ったり、跳躍するなどの基礎的運動や、それに水泳も教えられました。剣は、最初は木剣、上達すると刃のない練習用鉄剣を使いました。特に、馬上での槍術は欠かせない教育で、先を丸くした槍で模擬戦を行ったり、杭に結わえた鎧を目標に本物の槍をかまえて突進したりしました。
 宮廷作法では、城の礼拝堂付の司祭がついて、少年たちに行儀のよい話し方、振る舞い方を教えました。口を開けてぽかんと立っていてはいけないとか、じろじろ御婦人を眺めてはいけないとか、そういった宮廷風のマナーを学んだのです。他に、音楽や外国語も優れた作法の一部でした。息子にラテン語の読み書きを学ばせるため、近隣の修道院付属学校へ送り出した父親もいたようです。

 10〜12才になると、宮廷がある、大貴族の城や館へ送られます。王の宮廷で訓練を受けるのが最高ですが、有力者の子供に限られていました。「騎士見習い」と呼ばれる少年たちは、年長の見習い頭の監督を受けます。武芸修行の他にも、ここでは宮廷での奉仕を習います。
 ある程度まで訓練の成果が上がると、「従騎士」として主君となる騎士に割り当てられ、身の回りの世話をします。着替えの手伝い、客人の接待、食事の給仕、鎧兜や武器の手入れ、馬の世話など、あらゆる雑用を任されます。戦場まで必要な装備を運び、主人の傍らで敵と戦い、壊れた武器を取り替えます。

 17〜20才になると、騎士叙任を受けて、晴れて一人前の騎士と認められます。

 この話は、次の節に譲りましょう。

(続く)

【おもな参考文献】
「RPG幻想事典 戦士たちの時代」
  (共著:司史生・板東いるか、ソフトバンク、1994年)
「中世への旅 騎士と城」
  (著:ハインリヒ・プレティヒャ、訳:平尾浩三、白水社、1982年)



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