「沈んだ地色に置いてこそ、輝く黄金も映えるもの、……」
(『ヘンリー四世』第一部・第一幕二場)
中世の絵画に登場する騎士たちは、特徴的なマークを描いた楯をもっています。この華麗なマークを「紋章」ということは周知のとおりですが、中世ヨーロッパ風の世界で紋章を小道具として使いこなせるとしたら、雰囲気づくりにもってこいです。
たとえば、紋章旗に導かれ、軍装にも見目鮮やかな紋章を染めぬいた騎士団の隊伍が行進していくシーンはどうでしょう? また、愁い顔の伯爵が書状をしたため、印章指輪をとりだし、封蝋に紋章を刻印するシーンはどうでしょうか?
しかし、架空の紋章を登場させるにしても、白紙の楯型の上に何のマークを何色でどう描けばいいのか、正確なルールを知っている人は少ないでしょう。どうせ架空だから、と適当にごまかしてもいいのですけれど。たかが紋章、されど紋章、ただのマークと侮るなかれ、紋章の構成には裏づけとなる歴史的理由があったのです。
この文章では、その紋章の基礎について説明します。
あまり詳細なところまでは踏み込みませんが、どうぞご一読ください。
ものの本によれば、紋章とは何かを簡単にいうと、
「中世ヨーロッパのキリスト教支配の『貴族社会』に始まり、『楯』にそれぞれ『個人』を識別できるシンボルを描いた『世襲的制度』」
と要約できるそうです。
西洋の紋章は、戦場の騎士たちが、敵味方の区別をつけるために用いたシンボルとして始まりました。また、部下たちが指示を見て取れるよう、指揮官を目立たせる印としても重要でした。紋章をつかう資格は、騎士すなわち『貴族』に与えられたのです。
紋章は『楯』の形に描かれるのが基本です。甲冑の騎士をどこの誰であるか見分けるためには、かならず戦場に持ってくる楯にシンボルを描くのが最適だったからです。14世紀に入ると、陣羽織(surcoat)や馬の外被い(horse trapper)にも紋章と同じ図形が描かれるようになります。ちなみに、英語では紋章をコート・オブ・アームズ(coat of arms)と呼びますが、これは「衣(coat)に描いた武具(arms;楯)」という意味です。単に省略してアームズ(arms)ともいいます。
日本の家紋では、同じ家を示す紋章は(武家紋をのぞいて)同一です。しかし、西洋では『個人』を識別できるよう、親子・兄弟でも別のマークをつける方法をとります。後ほど説明しますが、「同一紋章の禁止」という鉄則があるのです。親子間でも区別するのですから、他人が自分と同じ紋章を使っていることが分かれば一大事。紋章裁判所(Court of Chivalry)に訴えて紋章の先有権を争う事例は、中世に珍しくありません。
楯に描かれた個人を示すシンボルというだけであれば、ギリシャ・ローマ以前にまで遡ることができますが。代々継承された実績がなければ紋章(arms)とは認めず、エンブレム(emblem)と呼んで区別することになっています。『世襲的制度』として継承されるシンボルが現れるのは10世紀ぐらいからという点で、紋章学者の意見は一致しています。
(ところで、世界中でもヨーロッパ諸国と「日本」だけが伝統のある紋章を持っている、ということを知っていましたか? これも「継承性があるかどうか」が根拠になっているのです。)
継承された実績のある紋章は、ドイツのものが最古で、1010年の記録がある墓石に残されています。11世紀末につくられたバイユーのタペストリー(Bayeux tapestry)は、描かれたシンボルと特定人物の対応がゆるく、継承された実績もないため、この時期イギリス・フランスには紋章がなかったことを証明する史料です。ドイツからイギリス・フランスに紋章が普及したのは12世紀のことで、十字軍遠征と騎馬槍試合が大いに紋章の必要性を高めたためだと解されています。
ちなみに西洋の紋章には、個人以外にも、国家・都市・教会・大学・同業組合(ギルド)・聖職者・騎士団長・市長など、法人や職位のものがたくさんあります。団体最初の創立者や領主の紋章を使い、後に独自の紋章として発展していきました。これらは個人の所有ではありませんが、紋章として認められています。
基礎的なルール・用語について説明します。
親子間でも同じ紋章を使ってはいけない、と先に述べました。 これは紋章第一の鉄則で、正確には、
「同一国内または同一主権領内において、二つ以上の同一紋章があってはならない」
というルールです。 同じ家に複数の兄弟がいれば、長男以下の紋章には、父の紋章に長男・次男……であるという印(ケイデンシー・マークcadency mark)を加えて区別します。これをディファレンシング(後述)といいます。父が他界すれば長男だけが父のマークを継承し、次男以下はそのままマークを変えず、分家の紋章として継承していきます。
初期の紋章は、実用のものと同じく縦に細長いタイプでした。甲冑の届かない裾まわりを防護するためです。形状としては、卵形・扁桃形がありました。
一般的なヒーター・アイロン・タイプ(heater iron type)が出てくるのは、もう少し後代でのことです。逆砲弾型とか、アイロンをひっくり返して裏からみた形というと、お分かりいただけるでしょうか。上辺が水平で、左右の線が下方で丸みを帯びて細くなり、下端が船の舳先のように尖っている楯型です。
これが標準形で、デザイナーや各国ごとに異なる楯型も考案されました。フランス・タイプは四角に近く、ドイツ・タイプは右側に凹みがあり、イタリア・タイプは楕円型、などなど。これらはファッションのようなもので、各国で様々に入り交じって用いられたため、楯の形だけで使用者の国籍を決めることはできません。
また特別な場合に、聖職者が馬頭型、婦人が菱形の楯型を使うこともありました。
楯に紋章図形を描くには、基準となる区画の名称が必要です。イギリス方式とフランス方式がありますが、前者を簡単に説明します。
楯の上部 | チーフ(chief) |
楯の下部 | ベース(base) |
楯の向かって左側 | デキスター(dexter) |
楯の向かって右側 | シニスター(sinister) |
左右の名称は、本来は「楯の背後、持ち手から見て右側」がデキスターで、「楯の背後から見て左側」がシニスターなのですが、便宜上分かりやすい言い方に統一します。デキスターはシニスターより優位な側で、紋章のライオンなどはデキスターを向いているのがふつうです(後述)。
戦場の騎士は、兜の狭いスリットから相手をすぐに判別しなければいけません。そこで、紋章はさまざまな規則で統合されてきました。代表的なものが、色のルールです。日本と違い、西洋の紋章は鮮やかな色を使う点に特色があります。しかし、何色を使っても良いというわけではありません。色の組み合わせにも厳しい制限があります。
色は大きく三つのグループに分けられます。
(a) | 金属色(metals) | 金(or)、銀(argent) |
(b) | 原色(colours) | 赤(gules)、青(azure)、黒(sable)、 緑(vert)、紫(purpure)、橙(tenny)、[深紅(sanguine)] |
(c) | 毛皮模様(furs) | アーミン(ermine)、ヴェア(vair)など数種 |
使用できる色はこれだけです。中間色やパステルカラーなど、これら以外の色を使うことはできません。(しかし、ドイツでは時に灰色が見られたそうです。こうした色は楯の材質に由来し、金銀は鍍金(メッキ)、赤や青は染革、黒は皮革、そして灰色は鉄の色とされています。)
なお、色彩表現については、金色は黄色で、銀色は白で代用することが認められていますが、呼び名は金色(オー;or)、銀色(アージャント;argent)のままです。
もう一つ、きわめて重要な原則があります。それは、
「金属色の上に金属色、原色の上に原色を重ねてはいけない」
という彩色違反のルールです。
たとえば、「銀の地(field)に金のライオン」とか「赤の地に緑の鷲」といった紋章は認可が下りないのです。イギリスでは、紋章制度発足以前からも、こうした紋章の摘発がされていました。違反とされる最大の理由は、まぎらわしく見分けがつきにくい、ということでしょう。たとえば「青の地に黒い鍵」といった紋章を思い浮かべてみて下さい。ぱっと見ても分かり難いでしょう?
紋章学には覚えきれないほど多くのルールがある上に、必ず「例外」があり、専門家でないと正確に分からないことが多いのですが、この彩色違反の紋章のルールは、同一紋章禁止のルールとともに厳格に守られています。公認された例外紋章の一つに、十字軍遠征初期のイェルサレム王の紋章「銀の地に金のイェルサレム・クロス」がありますが、有名なものはこれぐらいです。
ちなみに、冒頭のシェイクスピアの引用は、悪友フォルスタッフと遊び回る皇太子ハリー(後のヘンリー5世)の台詞です。放蕩尽くしの生活があってこそ、後の改心が引き立つものなのさ、とうそぶくハリーの言葉に、みごとに紋章のルールが織り込まれています。シェイクスピアは紋章学に通じていたようで、紋章に関連する台詞が出てくる作品はけっこう多いみたいですよ。紋章という視点からシェイクスピアを見るのも、一つの楽しみかたといえますね。
大まかなルールは述べました。次は、紋章に登場する図形を見てみましょう。
楯に描かれる図形は、具象・抽象まとめて「紋章図形」(heraldic charges)といい、(1)分割図形(partie)、(2)幾何学的図形(オーディナリーズordinaries)、(3)具象図形(チャージcharges)の三グループにわけられます。
分割図形は、楯の地(フィールドfield)の分割方法を示すものと考えて下さい。
具体的には、楯の地を縦・横・斜めに二分・三分・四分・五分と分割し、各領域を違う色で塗ったり、交互に二・三色で塗ったりした図形の総称です。主なものとしては、以下が挙げられます。 (以後、特に断りませんが、楯に向かって見る側から左右を決めるものとします)
パー・ペイル(per pale) | 縦に二分、色分け |
ティアースト・イン・ペイル (tierced in pale) |
縦に三分、色分け |
ペイリー(paly) | 縦に四・六・八分の偶数分割、交互に色分け |
パー・フェス(per fess) | 横に二分、色分け |
パー・ベンド(per bend) | 左上から右下の斜線で二分、色分け |
クォータリー(quarterly) | 縦横の中央線で四分割、色分け |
幾何学的図形とは、分割された地に書き加えられる図形です。
英語のオーディナリーズordinariesという名称は、「最もよく使われる基本図形」という意味ですが、(1)の分割図形と紛らわしいのが困りものです。
混乱を避けるため、幾何学的図形をオーディナリーズと言い換えることにします。
両者の違いは、分割図形が楯の地を「分割」するのに対し、オーディナリーズは楯の地の上に「置かれる」図形であることです。分割図形では「隣り合う」領域の二色に彩色違反のルールは適用されませんが、オーディナリーズは「下の地の上に置かれる」ため、フィールド(地)とその上に置かれたオーディナリーズの二色には彩色違反のルールが適用されるのです。
オーディナリーズには二つのグループがあり、(a)主オーディナリーズ(honourable ordinaries)、(b)サブ・オーディナリーズ(sub-ordinaries)と呼ばれます。(a)はオリジナルの紋章図形を作るときによく使われ、(b)は分家の紋章を作るときなどマイナーチェンジのときによく使われます。それぞれの主な例を挙げておきます。
ペイル(pale) | 中央の縦帯、楯の約1/3の幅(ペイルの両側は同色) |
チーフ(chief) | 楯の上部1/3を占める部分 |
フェス(fess) | 中央の横帯、楯の約1/3の幅 |
ベンド(bend) | 左上から右下にはしる斜め帯、楯の約1/3の幅 |
ベンド・シニスター (bend sinister) |
右上から左下へ走る逆斜め帯、楯の約1/3の幅 (庶子の紋章や、ドイツ系のシンメトリカルな紋章に使われます) |
シェヴラン(chevron) | 中央の上向き山形の帯 (世界各国の軍隊の兵や下士官の階級章の山形は、これに由来しています) |
パイル(pile) | 細長い逆三角形のくさび型図形 |
クロス(cross) | 十字の図形(約五百種のヴァリエーションがあります) |
ポール(pall) | 楯いっぱいに描かれたY字型図形 |
クォーター(quarter) | 楯の左上(デキスター・チーフ)の1/4を占める方形 |
カントン(canton) | 楯の左上の1/9を占める方形 |
インエスカッシャン (inescucheon) |
中央、小さな楯型図形(楯の中の楯を意味します) |
ボーデュア(bordure) | 楯の縁取りの帯 |
オール(orle) | ボーデュアよりも内側に配される、楯の縁の輪郭にそった帯 |
トゥレッシャー(tressure) | オールより細い帯(二本で使用される例が多い) |
具象図形(以下、チャージと言い換えます)とは、図形以外の、楯に描かれた様々なシンボルです。
紋章というと、ふつう「ライオンの紋章」や「鷲の紋章」などと表現しますが、それらはチャージが何であるかを示しているのです。イングランドのライオン、ドイツの鷲、フランスのフラ・ダ・リ(百合の花)は最も有名なチャージです。
西洋の紋章におけるチャージは、生物・無生物、実在する物・架空の物など何でもありです。日本のような忌み物はなく、骸骨、墓石、血の滴る生首というものまであります。
また、図形さえ一致していれば細かいところはデザイナー任せ、といういい加減なところもあります。ロンドンデリー市の紋章が紋章図鑑ごとに少しづつ違っていたり、オックスフォード大学の紋章に描かれた本の文句が三種類もあるのがよい例です。
とはいえ、最低限おさえるべきパターンは確立しています。それらのパターンを、ライオンと鷲を例に見ていきましょう。
イングランド、スコットランド、デンマーク、オランダ、ベルギー、ノルウェー、フィンランドなど、ヨーロッパ王家の紋章には百獣の王ライオンが頻出します。
楯の上にいるライオンはたいてい左(デキスター)を向いてそちらへ歩いていますが、正面向きや右側(シニスター)を向いたライオンもいます。また、歩いたり立ったり寝そべったり、冠や剣をつけたりと色々なポーズを取っていますが、これらは紋章学上で決められたパターンに従っているのです。主な呼び名を見ましょう。
(特定の名称なし) | 左側(デキスター)を向いた姿 |
グァーダント(guardant) | 正面を向いた姿 |
リグァーダント (reguardant) |
右側(シニスター)にふりかえった姿 |
スタンタント(stantant) | 立ち止まった姿(四足ともに地を踏みしめる) |
パッサント(passant) | 歩き姿(左前足を水平やや上に突きだす) |
ランパント(rampant) | 左後片足立ち (左後足でふんばり、右後足を前に踏みだし、 左前足は水平に、右前足は上に突きだす) |
セイリャント(salient) | 両後足立ち (両後足をそろえ、獲物に飛びかかるように 両前足をのばして突きだす) |
シージャント(sejant) | 座った姿(両前足をのばし、腰を地におろす) |
クーシャント (couchant) |
うずくまった姿(四足と腹を地につける) |
これらを組み合わせて、ライオンのポーズを表現します。
たとえば「左へ歩くライオン」はライオン・パッサント(lion passant)です。「正面を向いて左へ歩くライオン」だとライオン・パッサント・グァーダント(lion passant guardant)ですし、「左後片足立ちで右へふりかえるライオン」ならライオン・ランパント・リグァーダント(lion rampant reguardant)と呼びます。
ライオン以外の猛獣類、あるいはドラゴンなど架空の動物もこれに準じます。
チャージの原則として、頭がデキスター、尾がシニスターを向きますが、例外的にシニスターに頭を向けるライオンも見られます(チェコスロヴァキア)。また、ドイツ系の紋章では、マーシャリング(後述)によりA家とB家の紋章を組み合わせるとき、お互いのライオンが向かい合う図形(コンバッタントcombatant)になるように、A家のライオンをシニスター向きに変更する、ということが多かったようです。
鷲もまた百鳥の王として好まれ、ドイツ、オーストリア、帝政ロシア、ポーランドの紋章に多いチャージです。主なポーズは、いずれも体を正面に、頭を向かって左側(デキスター)に向け、両翼を広げた形(displayed)です。
「翼を曲げずにいっぱいに開いた鷲」はイーグル・ディスプレイド(eagle displayed)、「翼を半開きにして翼先を曲げた鷲」はイーグル・ディスプレイド・ウィングズ・インヴァーテッド(eagle displayed wings inverted)といいます。
これらの鷲はライオンと同じく、頭を左(デキスター)に向けるのが通例ですが、例外として右(シニスター)を向く鷲もいます。最も有名なものに皇帝ナポレオンの紋章があり、この「逆向きの頭を持つ鷲」はイーグル・ディスプレイド、ヘッド・ターンド・トゥワーズ・シニスター(eagle displayed, head turned towards sinister)と呼ばれています。
「双頭の鷲」(通常の英語ではdouble eagle)は神聖ローマ皇帝の紋章として知られていますが、オーストリア皇帝やロシア皇帝も双頭の鷲を使っています(神聖ローマ皇帝の紋章には、鷲の双頭の後ろに「光の輪」(ハイリーゲシャイネ)があるため区別できます)。この双頭の鷲ですが、もとはカール大帝に由来する単頭の鷲であり、皇帝ジギスムント(在位1411-37)が双頭に変更したものと説明されています。
ライオンのところでは言いませんでしたが、動物のチャージは、全身像だけでなく頭・足・尾など一部だけを使う場合もあり、鷲の場合には、翼だけをチャージとするものがドイツ系の紋章に数多く見られます。
ディファレンシング(differencing)とは、親や主家の紋章を一部変更して使用する方法です。
いくら個人ごとに別の紋章を義務づけて同一紋章を禁止するとはいえ、親子間など血縁関係や、強力な連帯を結んだ主従・盟友関係などの紋章が、まったく関係のない別の図柄ではお話になりません。そこで、共通性をもたせつつ異なる紋章を生みだす方法が模索されてきました。
紋章の継承や、主従・盟友関係を明らかにするため、ディファレンシングは極めて古くから行われてきました。その方法も年代や地域ごとに異なり、決定版はありません。
たとえば、オリジナルの紋章に対して、
(1)チャージ(具象図形)やフィールド(地)の色を変える。
(2)フィールドに細かい図形を地模様のように加える。
(3)オーディナリーズ(幾何学的図形)の線形を変える。
(4)ボーデュアやベンドレット(細い斜め帯)などオーディナリーズを加える。
(5)小さいチャージを加える。
(6)ケイデンシー・マーク(cadency mark, mark of cadency)を加える。
などの方法があります。
(6)のケイデンシー・マークについて説明しましょう。
これは16世紀初頭にイングランドで考案されたシステムで、当主の紋章に対しサブ・オーディナリーズとして長男以下のマークを小さく付け加えるものです。
長男 | レイブル(label)、しめ縄(Eを時計回りに90度回転したような形) |
次男 | クレッセント(crescent)、弦月(三日月の両先端を上に向けた形) |
三男 | マリット(mullet)、五つとがりを持つ星 |
四男 | マートリット(martlet)、翼をつぼめた脚のないツバメ(イワツバメ) |
五男 | アニューリット(annulet)、輪 |
六男 | フラ・ダ・リ(fleur-de-lis)、紐で束ねられた三枚花弁のユリ |
イングランド王家では、エドワード1世(在位1272-1307)がプリンス時代に5本のポイント(垂れ下がった部分)を持つレイブルを用い、王家最初のレイブル使用者とされています。近年の英国王室では、チャールズ皇太子、アン王女(婚前)、アンドリュー王子がそれぞれ異なるレイブルを使い分けていました。
二つ以上の紋章を組み合わせて、一つの紋章を作ることをマーシャリング(marshalling)といいます。
これにも色々な理由がありますが、その筆頭に、「妻の紋章」が挙げられます。貴族の妻は、夫の紋章に生家の紋章を組み合わせて使います(女性には、独自の紋章は認められなかったのです)。妻が「女子相続人」(兄弟のない娘;エアレスheiress)である場合に限り、妻の生家の紋章は夫の家系の紋章に残って代々継承されます。
また、ディファレンシングとして、母方・祖母方の紋章を組み合わせたり、主君から与えられた加増紋(オーギュメンテイションaugmentation)を加える方法があります。他に、主教職・騎士団長・市長など職位の紋章を加えたり、国王や公が支配領の紋章を付け足したり、逆に臣従・同盟関係により保護者・盟主の紋章をいただいたりすると、マーシャリングで複数の紋章が合体することになります。
何度も貴族同士が結婚し、女子相続人の紋章が次々付け加えられると、まるで碁盤目のように何十、ときには何百の紋章が縦横に並んだ紋章ができあがることがあります。縦19列、横17段、全部で323個の紋章が組みこまれた例さえ実在します。
もはや、紋章が個人の識別という実用ではなく、自らの家柄を誇る装飾品へ変わった時代のものですが、こうした紋章からは中世の重要な家系の人脈やその足跡を知ることができるので、史学研究上で欠かせない存在となっています。
それでは、二つ以上の紋章を実際にどう組み合わせるかを見てみましょう。
14世紀頃の初期のマーシャリングでは、ディミディエイション(dimidiation)という手法が使われていました。二つの家の紋章を半分ずつに切り、A家の左半分(デキスター)とB家の右半分(シニスター)を組み合わせるのです。ところが、半分に切ってしまうと元の紋章が何だったか読みとれなくなる恐れがあります。
そこで二つの家の紋章をデキスターとシニスターに収まるようデフォルメし、それらを組み合わせるインペイルメント(impalement)が広まっていきました。
一般にもっと多く用いられているのがクォータリング(quartering)です。楯を四分割するクォータリーを利用し、各クォーターに紋章を組み込むもので、2〜4個の紋章を配置できます。これは百分割以上にも拡張して応用できる便利なもので、十六分割した紋章ならquarterly sixteenと呼びます。原則として左上から右下へ(横書き文章の順番に)優位な紋章から配置するので、これを見れば各家の力関係が分かるわけです。
他には、インエスカッシャン(サブ・オーディナリーズの一つ;楯の中央の小楯)を利用して、A家の紋章の中央に、B家の紋章を小さく配置するインプリテンス(in pretence)があります。
あとは少し、紋章に関連する話題を取り上げてみます。
中世の映画で、貴族が文書に蝋をたらし、印章指輪に刻んだ印を押しつけるシーンを見たことはありますか?
これは印璽(シールseal)といって、私たちが使うハンコと同じ意味を持っていました。ただし、これは略式のシグネット・シール(signet seal)です。本式には、文書の端末に穴を開けてリボンか紐を通し、シール・マトリックス(seal matrix)と呼ばれる母型に両端を入れ、溶かした蝋かワックスを流しこみ、上下から型押しします。
国王の用いる玉璽をグレイト・シール(great seal)といいますが、11世紀以前はせいぜい直径3〜4cmだったものが、その後大きくなり、ヴィクトリア女王の玉璽は直径16cmに達しました。表側には玉座に座る全身像、裏側には騎乗像が描かれていて、もちろん紋章も配置されています。周囲にはラテン語の王名もみえます。
また、国王以外の貴族や大学などの法人も独自のシールを持っていて、刻印された紋章からは時代ごとの変遷がうかがえます。
ヘラルド(herald)は、もともと国王や領主に仕える軍使でした。高い身分ではありませんでしたが、とても重要な任務を負う職業だったのです。
戦闘では、休戦・和議などの交渉を担当し、敵の本陣まで出向くこともあったため、敵味方から攻撃されないよう一目でそれと分かる服装をしていました(後にその服装は、仕える主君の紋章を縫いつけた、鮮やかな陣羽織(タバードtabard)となります)。
平時には、騎馬槍試合や決闘の進行・審判役を担当していましたから、戦闘・騎馬槍試合の両方の舞台で、ヘラルドが紋章に精通するようになったのは自然なことでしょう。
何世紀にもわたり、ヘラルドは騎士の慣習的な法律を成文化していきました。のちに公的記録である紋章鑑(roll of arms)を成すほどの広く深い紋章知識はどこでも重宝され、ヘラルドは、軍使から紋章官・儀典担当官へと職分のウェイトを移していきます。紋章官として地位を確立したヘラルドは、強力な権限を持っていました。紋章裁判所(Court of Chivalry)の裁判官も兼ねていました。ちなみに、無許可の紋章使用者が見つかると、どんな罰則が適用されたと思いますか? 館から紋章の取り外しを命じる? いいえ。ヘラルドは、違反紋章を館もろとも打ち壊したのです。
イングランドの紋章制度は、12世紀後半にソールズベリー伯ウィリアム・ロンゲペーを最初の紋章使用者としてはじまりました。リチャード3世が紋章院(College of Arms)を創設したのは1484年。1666年のロンドン大火で消失しますが、貴重な記録は無事で、1671-88年に再建されてから現在に至るまで、一日も休まずイギリス中すべての紋章事務を引き受けています。今でも、ロンドンのセント・ポールズ寺院の南、テムズ河に併走するクイーン・ヴィクトリア・ストリートに行けば、紋章院を見ることができますよ。
紋章院の制度ですが、式部長官が兼ねる紋章院総裁(Earl Marshal)の下、13人の紋章官が働いています。紋章官は三階級で、3人の上級紋章官(キング・オブ・アームズKing of Arms)、6人の中級紋章官(ヘラルド・オブ・アームズHerald of Arms)、4人の下級紋章官(パーシヴァントPursuivant)に分かれています。いずれも終身職位で、欠員が出ないかぎり昇進や新規採用はありません。またアシスタントの事務職員や、紋章認可証のデザイナーは紋章官が自ら雇うことになっています。なのに、その年棒はわずか50ポンド(約12000円)! これでやっていけるのでしょうか?
実は、紋章認可証を得るには認可料1000ポンドを払う必要があって、これが紋章院の重要な収入になっているそうです。他にも紋章官たち自身が、大学での講義・文献の執筆・TVへの出演・講演会などで資金不足を補っているとか。
なかなか現代のヘラルドも大変ですね。
紋章学の初歩、いかがでしたでしょうか?
紋章の世界は奥が深く、史実とも複雑にからみあっていて、雑学的な面白いエピソードに事欠きません。一つの紋章にはかならず何かの寓意がこめられていて、成立のいきさつを知る者はそれを見るごとに、背景の物語を想い起こすのです。紋章は歴史の道標、記憶の結晶であるといってもよいでしょう。ちなみに西洋では、紋章学(heraldry)は500年以上の歴史を持つ科学の一分野として確立しており、講座を持つ大学もあります。
取り上げなかった話題はまだまだ沢山ありますが、とりあえず紋章知識の上っ面をなでるぐらいはできたと思います。残念なのは、説明のうえで紋章の絵を一つも載せず、文章による解説に終始したことです。申し訳ありません。興味を持たれた方は、専門書や関連するサイトなどで、数々の美しい紋章をぜひともご覧ください。
【おもな参考文献】
「シェイクスピアの紋章学」
(著:森護(もり・まもる)、大修館書店、1987年)
「西洋の紋章とデザイン」
(著:森護、ダヴィッド社、1982年)
「西洋紋章夜話」
(著:森護、大修館書店、1988年)
「中世と騎士の戦争」
(編:木村尚三郎、講談社、1985年)
「紋章の切手」
(著:森護、大修館書店、1987年)
「ヨーロッパの紋章・日本の紋章」
(著:森護、日本放送出版協会、1982年)