ブルーローズ・システム考

文責:蟻人

 「ブルーローズ」(朱鷲田祐介)は、2002年にエンターブレイン社より発売されたTRPGのルール・ブックである。よく『スプリガン』(たかしげ宙・皆川亮二)をやるゲームと紹介されるが、正確である。
 以下では「ブルーローズ」の全体的なレヴューではなく、主にシステム面での批評(特にカード・システムについて)を行いたいと思う。

基本判定システム・その他

 2D6、ゾロ目振り足し式の上方ロールという判定システムは、非常にオーソドックスながら上方無限のためにダイスを振る楽しさもあり、悪くない。また、技能と能力値の関係が固定的でない点も面白い。
 全体として基本システムはオーソドックスながらよく整理されていて理解しやすく、悪くないと言える。また、ヒーローポイントである「夢と希望」も、シーン毎に1点ずつ補充されるという特徴からあまり惜しまず使用でき、使い勝手がよい。
 「縁故」も地味な効果が好印象である。FEAR系のRPGシステムに多い、“ロールプレイ支援システム”と結びついていないのがありがたいと思う。“支援システム”は多くは“ロールプレイ強制システム”であり、プレイヤーの自由なロールプレイを縛っている感がある。

 戦闘は、武器の威力が異常にデッドリーであるが、「夢と希望」、「重傷」などにより、無理はない。また必ずしも戦闘での勝利を重視しないプレイスタイルを推奨しているので、問題はないと言えるだろう。
 重量とは異なる、“Enc”によって持っているアイテムを管理する(しかも部位別)というルールは面倒だが、装備可能かどうかくらいを除いては曖昧に扱って問題はないだろう。

 魔術や武術のルールは大雑把で、バランスや使い勝手など、何も考えていないように感じる。問題点である。

 また「ブルーローズ」においては、視覚的に判りやすいマスタリングを推奨しており、そのためのPODなどのシート類が用意されている。視覚的なマスタリングという点は「ブルーローズ」以外にも応用できる、重要な技術であり、参考になる。

カード・システム


「ブルーローズ」における特徴的なシステムとして、3種類のカード・システムが挙げられる。
 主として「運試し」に使用される「惑星カード」。各シーン毎にプレイヤーに配られ、使い捨てのヒーローポイントとして利用される「星座カード」。そして、強力な「ゾディアック・メンバー・カード」(以下「Z・カード」)である。
「Z・カード」は、1セッションに1回、各PCを強力な“ゾディアック・メンバー”と呼ばれるS級エージェントが助けてくれるというものである。「NOVA」の神業、「三国志演技」における超絶能力などと同種のものと考えて良い。

 まず「惑星カード」だが、これは上記の視覚的なマスタリング、という意味では評価している。単純にダイスを振ってランダムな事象を管理するよりも、カードを引く方が視覚的で面白いだろう。ただ、私がGMの時は他のカードを使用していないため、面倒で使用していない。

 次の「星座カード」は一種のヒーローポイントだが、“シーン毎にカードを配る“というのが面倒で、またプレイヤーが”何かのカードがあるから、こういった行動を取る“という思考をとりがちであり、RPG的に好ましくないという理由から私は使用していない。そういった思考はPCの行動動機という観点からも、ストーリー全体への視点からも関係なく、単なるゲーム的な有利・不利であり、RPG的には無意味である。

ゾディアック・メンバー・カード

 そして「Z・カード」である。そもそもRPGにおいて、GMとプレイヤーとではその役割が異なる。そして、その役割に合わせて、権限もまた大きく異なる。
 通常、RPGにおいてプレイヤーの権限は、自分のPCの感情・行動を自由にするだけである。ある事態に対し、PCがどう感じ、どういった行動を取るのか。これはプレイヤーの決定権の範囲内である。
 しかしその結果何が起こるかに関しては、基本的にはGMの管轄となる。ただし、多くのRPGの戦闘システムなど、GMに完全には管理させず、ルールによってシステム的に結果を規定している、というものもある。

「ブルーローズ」の「Z・カード」は、本来ならばGMの決定権に属する事柄を、ルールで規定して、相対的にプレイヤーの権限下に置こう、とする試みと言えよう。
 例えば「ジェイソン」のカードは“どんな相手も足止め出来る”と規定されているため、このカードがプレイヤーによって使用された際には“必ず”相手を足止め出来る。相手が戦闘ヘリでも巨大ロボでもお構いなしである。
 これは通常ならばGMが独断で決定するか、プレイヤーのダイスの目などによって判断する事柄であろうが、「Z・カード」の場合はGMの裁量では変更できないものである(勿論、GMの都合によっては“足止め出来なかった”と言うことも出来ようが、それでは「Z・カード」というものをルール規定する意味が失われる)。

 私が「Z・カード」システムに違和感を覚えるのは、一つには、そのルール的に保護されたプレイヤーの権限が強くなりすぎるのではないかと思うからである。プレイヤーの権限は“PCの行動”という範囲内に区切られるべき、という気がする。
 もしプレイヤーの権限が“PCの行動”という範囲を大きく逸脱するならば、GMにとってはセッション全体の制御が困難になろうし、プレイヤーのPCとの一体感(感情移入)も阻害されるだろう。

 私はRPGにおいて、ストーリーを作り上げる主体となるべきはプレイヤーであると考えている。しかしそれはプレイヤーの権限、“PCの行動”によってストーリー全体に干渉していくべきだと考えているのであって、PCを離れて、ルール的に保証された権限によってストーリーに干渉することとは異なる。

 ただこの感覚には個人差があろうし、プレイヤーの権限が拡大したからセッションが面白くなくなる、とも一概には言い難い。しかし「Z・カード」には他にも問題点がある。

 その大きな一つには、ドラマチックな演出を可能とするはずの「Z・カード」において、目立って活躍するのは呼び出されるNPC“ゾディアック・メンバー”であって、PCではない、ということがある。
 派手に戦闘ヘリと立ち回っているNPCの脇で、こっそり逃げ出すPCたち…という“雑魚っぽい”演出を楽しみたいのであれば別だが、通常はPCたちが目立つ方が良いだろう。

 また、ドラマチックなシーンにおいても、「Z・カード」の使用は興を削ぐことになる。先の例を引き継ぐなら、戦闘ヘリに追われていようと「Z・カード」を使用すれば“必ず”助かる、というシステムは、如何に描写としては“危機一髪脱出した”と言おうと、プレイヤーたちに危機感を与えることにはならないだろう。
 これは先のPCとの一体感の問題とも関わる。ルール・ブックには「Z・カード」の枚数と同じくらいの回数、危機を作るようシナリオ作成で勧めているが、絶対的な切り札を一枚一枚消費させていくようなセッションで緊迫感が味わえるとは思えない。

 また、全く別の観点からとなるが、「Z・カード」の使用は「ブルーローズ」のシナリオの幅を狭めているとも思われる。 “ゾディアック・メンバー”は学術調査団体“ブルーローズ”のエージェントであるため、PCを他の組織、“シュープリーム”や“龍三合”などのメンバーとすることが出来なくなる。
 つまり「Z・カード」の使用により、PCが自動的に“ブルーローズのエージェントで、ブルーローズから何らかの任務を受けて動く”ということがほぼ決定されてしまう。これではシナリオの構造がかなり限定され、PC同士の対立がありうる、マルチ的な展開などが難しくなる。

 以上、粗雑ながら「ブルーローズ」のシステムを批評してみた。全くの私見であるが、“RPGとは何か”を考える一助となれば、と思っている。



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