ブレイド・オブ・アルカナの世界についての対話:
信仰、罪、そして愛
書いた人:そまみち
話した人:暗黒生命体Gと芸術観念複合S
「羞恥心は不服従の罪が生んだ、と中世の聖書釈義家たちは論ずる。 神の掟を破ってはじめて人間は自分の性器官が、 理性にしたがわない反抗的な欲望の炎のままになる 肉体の付属肢であることを知ったという」
「肉体と魂の統一がそこなわれていないうちは、自分の身体や陰部を隠さねばならないということはない。肉体の各部分に覚える反抗的な情欲を理性の魂は恥じる。禁断の果実を口にしたために、自分の性器をいちじくの葉で、他者の目から隠さねばならないほどの欲望がめざめ、快楽と貪欲に誘惑される自らの肉体を制御できなくなった」
Schreiner,K.『マリア 処女・母親・女主人』
暗黒生命体G(G)……Gは gene のG、かもしれない。good‐fellow のGではなさそう。
ヴィジュアルをマンガでたとえるならば『グラップラー刃牙』の烈海王だ、と、そまみちは思うのだが、考えてみればそれはただ同じ地黒だからというだけのことのような気もする。
暗黒ゲージがMAXに達すると海原雄山と化す。それも孫なんかできる前の方。
芸術観念複合S(S)……Sは sensitive のS、と今思いついた。
ほかにも strange のS、slave のSなど候補多数。みんなも考えよう。
マンガのキャラでいえば『勝手に改造』の地丹くんに似ているともっぱらの評判だが、ホントのことなので本人の前で言ってはいけない。
3月までならもれなくインチキ蟷螂拳を威嚇音つきでプレゼント。
〔冬の午後、「ドナルドの息子」の2階にて、GとSは差し向かいで午餐を食す。
この日もまた神の赦しにより無事に食事をすましえた奇跡に感謝しつつ、語り合う2人の修士。
おりしもSが『アルカナの刃』と題された規範の書を持ち出したことから、
2人の話題は『アルカナの刃』のこと、わけてもその世界における神と、信仰のことに及んでゆく〕
G:「私は常に疑問でした。この世界ではなぜ、聖職者の位階が
すべからく女性で占められるべきとされるのか」
S:「それはこの世界の創造神が、女性とされているからで
ありましょう、ブラザーG」
G:「賢明なるSよ。あなたは正しい。
なぜならば聖職者という世界の一要素のありかたを、世界の根源から解き明かそう
というのだから。
ならば私もまた、世界の根源に定位して、このアポリアに立ち向かいましょう」
S:「よき判断かと」
G:「この世界、ブレイド・オブ・アルカナの世界の創造神は、
確かに女性神です。「彼女」は、「大いなる母」と呼ばれます」
S:「しかり。ゆえに私は、聖なる神へのまねびとして、聖職者は
すべからく女性であるとされたのだ、というのです」
G:「ところでSよ、この「母」は創造神ですね?」
S:「はい」
G:「そしてまた、聖職者は「母」なる神に倣って、「女性」であるべき、とされたのですね?」
S:「そのとおりです」
G:「しかし、だからこそSよ。私は聖職者が女性であることに疑問を抱くのです」
S:「なんと!」
G:「この世界の唯一の信仰である「真教」、とくに古い由来をもつ「旧派」において、
なぜ「母」に倣ったとされる聖職者に、結婚がゆるされないのか?
創造の力をもつ「母」に倣うのだとすれば、聖職者である女性もまた、
子を産むという創造の秘蹟を、
むしろ聖職者であるからこそ積極的に行うべきではないか?
このブレイド・オブ・アルカナの世界は、矛盾しているのではないか? そう私は問いたい」
S:「おお、学識深きブラザーG、あなたの指摘はまさにクリティカルなもの。
あなたの問いからはまごうかたなき真理への熱情[パッション]が感受されます。
されば私もまた、止みがたき問いという受苦[パッション]をともにしましょう」
G:「されば賢明なるSよ、答えや如何に?」
S:「書をひもとくに、この世界では、人は創造の秘蹟を手に入れるために、「闇」の奥へと手を伸ばした、とあります。
しかし創造の秘蹟は創造神たる「大いなる母」にのみ許された、あるいは「大いなる母」にのみ可能な御業でありました。
結果、人は「闇」に囚われることになり、「大いなる母」にも見捨てられ、闇に穢された大地の住人となったのです」
G:「して?」
S:「ここから読み取られうるのは、すなわち、この世界においては、
人の身のうえで「創造」をなすことは、「闇」と、すなわち「罪」と不可分だということです」
G:「なるほど。では賢明なるSよ、あなたは次のようにおっしゃりたいのですか?
人の身で神の御業である「創造」をおこなうのは罪である。
ゆえに神に仕える聖職者は、「創造」を成すような傲慢の罪を犯さぬように、結婚を自ら禁じたのだ、と」
S:「はい。そのとおりです」
G:「おお……おお……、いま、なにか一つの導きの糸がもたらされたように感じます。
神は「大いなる母」すなわち創造する神、人の祖先はその神の創造の秘蹟を我が物とせんとして「闇」の奥に手を伸ばし、
罪に穢れ天上界に還ることあたわざる身となった。人の身において「創造」すなわち生殖、姦淫、結婚は罪である。
ゆえに神により近いがゆえに聖職者となりうる権能をもつ「女性」たちもまた、「創造」の禁を犯すような生殖や結婚を行わない。
それは禁忌とされる……。
ふむ、賢明なるSよ。あなたの言によりもたらされた導きの糸、それを縦糸として、
私は世界をあらたに織りなすための横糸を、通してみることにしましょう。いま、私に光が与えられました」
S:「ぜひ私にも、その光を分け与えてください。ブラザーG」
G:「神より流れ出ずる光が遍く地を照らし出すよう、蒙昧を払う。これぞ吾らの歓びなれば」
S:「アレルヤ」
G:「アレルヤ」
G:「私はまた、次のことにも疑問を抱いていました。
なぜ唯一の神の位格が「女性」と定位されるこの世界で、世俗の権力者がそれでも「男性」であるのか、ということに」
S:「それについては学識深きブラザーG、私は次のように考えていました。
神に仕える女性たちすなわち巫女のヒエラルキーと、戦士たちの長たる部族の王を頂点とした男性のヒエラルキー、
この聖と俗の2重のヒエラルキー構造をもった社会がすなわち、この世界の社会なのではないか、と」
G:「賢明なるブラザーS。私としては、それは唯一神を奉じる社会のあり方としては奇異なものに感じます。
ですが恩寵により矛盾が止揚されようとしている今、その問題には深く立ち入らないでおきましょう」
S:「その止揚はいかように為されるものでありましょう?」
G:「鍵は、創造すなわち生殖ということです。創造すなわち生殖のためには、男女の二つの性の交わりが必要ですね?」
S:「はい」
G:「しかし、先ほど吾らにもたらされた知見とは、人の身による創造とはすなわち闇に触れる行いであり罪であるということでした」
S:「然り」
G:「ゆえに、そこからこのような帰結が導き出されます。男女の性の交わりには、闇に触れるなにかが、あるのだ、と」
S:「……おお。たしかにその通りです。ブラザーG」
G:「さて、そこで、「闇」とは何か? と考えてみましょう。
――神ならぬ身である私たちおいては、生殖にはそのための器が必要となりますね?」
S:「はい」
G:「この生殖のための器の違いこそ、「女性」と「男性」を区別する指標であり、
それこそ各々の性がその性であるための形相[エイドス]、すなわちイデアなのでした。
されば、そのほか、女性と男性にそれぞれ帰属させられている諸々のこと――
たとえば「男性」は力が強く、「女性」は心がたおやかだ、などということは、すべからくこのイデアの影であるはずです」
S:「理で、あるかと」
G:「あなたの支持を支えとして、さらに先に行きましょう。
私たちの問いは、創造すなわち生殖のプロセスにおいて、「闇」はどこにあるのか、ということです。
そして、幾度も繰り返されるテーゼですが、「神」は「母」、すなわち女性ですね?」
S:「はい」
G:「神の創造の御業を我が物にするために、人は「闇」の奥に手を伸ばしたのですね?」
S:「然り」
G:「人は「創造」において、「闇」に触れなくてはなりません。
さて、私たちの行き着いた知見によれば、神は女性であり、ゆえに聖職者は女性であるのでしたね。
さらに聖職者である女性は、自らに結婚すなわち生殖・創造を禁ずる。これは人の身にして神の領分を侵すことを戒めたものでした」
S:「はい」
G:「ゆえに、私は次のように結論したい。「男性」、とりわけ男性を男性たらしめている「男性器」は、
それ自体が「闇」の、ひいては「罪」の象徴、闇に触れたという原罪の証であるのだ、と」
S:「……おおお、ブラザーG。私にも光が射し込んでまいりました」
G:「そして、ここにおいて、私の眼前に神の御国の相貌が浮かび上がります。
神はアルカイと呼ばれる人の祖先を造り、地上の管理者としました。
私たちは神を「母」と認め、また「母」たりうる「女性」こそ神に似た身である、としています。
だからこそ、女性こそが聖職者であるべきだとされるのです。すなわち、神に似た「女性」こそ、
罪の象徴たる「男性器」を得て「男性」となる以前の、あるべき人の姿、神の似姿だったのです」
S:「おお、おお」
G:「さらに、神に似せて造られた人は、かつて、神に似るがゆえに、何らかの創造の力を持っていた、
と考えることもできるのではないのでしょうか。
人は神に与えられた地上に満足することができず、新たなものを産み出そうとして「闇」に手を伸ばした。
その結果、人は闇に侵され、侵された人は「男性」としての醜き印を得てしまった。
おそらく、それまで人は、「女性」として――正しくは「単性」もしくは「無性」として、神が造りたもう完全なる姿を正しく保存しつつ、
地上の管理者としての必要におうじて「産み、殖え、地に満ち」ていたはずです。しかしその禁を破った者
――もしかするとそれは、創造すなわち生殖の力を喪った個体だったのやもしれませんが――
彼らの行いにより、人は地に落ちました。すなわち、神の怒りに触れ、生ける物としての完全性を喪い、
生殖にたいし性の交わり、理性のままにならぬ器官に情欲のままにふりまわされる危険、闇に触れ、罪を重ねる危険を犯しつつ、
神の光無きこの大地にて、生き死にを繰り返す存在と堕してしまったのです。
そう、罪に穢れた「男性」と、それに囚われ、あるいはそれへの同情ゆえに、完全なる無性性を喪い、有性の存在となった「女性」
……これが、この世界の人の姿なのです」
S:「おお、なんということでありましょう。学識深きブラザーG」
G:「いま少し先に行きましょう。この世界唯一の宗教たる真教は、マーテルと呼ばれる女性によって、西方から伝えられたのでした。
救世母マーテルは、夫も子も無く、すなわち生殖という禁忌を犯さぬまま、33歳のときに磔上の死を遂げました。
さて、彼女を殺したのはだれでありましょう?」
S:「それは、時の権力者です」
G:「しかし、救世母として信仰を集めていた彼女は、なぜ殺されねばならなかったのですか?
この世界にある神はただ、彼女の「母」たる唯一神、ただそれだけであるはずなのに?」
S:「この書には、マーテルの死によって罪の許しへの可能性が開かれる以前は、
人は神に見捨てられたことへの絶望から希望の光を見失い、欲望のままに獣のごとき暮らしを送っていた、とあります。
そしてまた、この書の記述を信じるのであれば、この世界において王や諸侯の位置にある人の大半は、
殺戮者とよばれる、闇に堕ちた存在なのです。
おそらく、こうした欲望のままに生きる諸侯、すなわち殺戮者が、救世母マーテルに死を与えたのです」
G:「賢明なるブラザーSよ。あなたは私が言うべきことの多くを述べてくれました。
私は、そこにただ一つのことを付け加えるだけです。そう。彼女は権力者により殺されました。
そして権力者は殺戮者です。そして、さらに、世俗の権力者は、男性なのです。
罪の証をもつ男性は、しかしそれゆえに、欲望のままに覇を唱え、権力者の位階をあがってゆくことを目指すのです」
S:「おお、では「男」とは、その「男」の位階を昇ってゆくほど……
より高い世俗の地位にあるほど、より罪深き存在である。そういうことなのですか?」
G:「さよう。必然としてそうなります。そしてこれは、この世界における男女関係の至高のあり方について、
そのあり方がまさに至高であることを証してくれます」
S:「男女関係の至高のあり方とは、ブラザーGよ、あなたは騎士の愛、宮廷恋愛のことを仰っているのですか?」
G:「そのとおりです。賢明なるブラザーS。騎士や諸侯、すなわちより高き位階にある「男」は、それゆえにこそ罪に穢れています。
彼らが貴婦人と愛の関係を結ぶとき……、それが理想とされる関係であればあるほど、彼女たちの関係からは「肉」の要素が、
すなわち肉体−関係が、排除されます。騎士は貴婦人の愛を乞います。いえ、正確には、見返りとしての愛情すら求めず、
ただただ婦人のために奉仕します。それが彼の歓びなのです
――これが、保護の代わりに忠誠を、という双利的な契約関係である世俗の主従関係とは異なることに注意してください。
さて、「男」が、かようなまでに「女」に憧れ、尽くすのは何故か? 賢明なるブラザーSよ、おわかりですね?」
S:「彼らには肉の悦びは与えられない。とすれば彼らの歓びは魂[プシュケー]のものであるはずです。
彼らの行為の熱烈なることは、まさにその歓びあることを証します。魂の歓びとはなにか?
ああ、それは、これ以外考えられません。それは、救済……
罪に穢れし魂が、清浄な光によって清められ、高められ、赦しの証をもつ魂に生まれ変わること、まさにそれに他なりません!」
G:「そのとおりです。ブラザーS」
S:「創造は禁忌。肉による生殖は罪。
かつて無性でありし「女」より堕落した「男性」は罪の印を持ち、「女」もまた同情ゆえに「女性」となった。
世俗の位階を昇ることは罪に穢れし「男の性」なり。
されど恩寵により、現世において「男」が魂の歓びすなわち救いを垣間見ることの可能性が残されている。
それこそが至高の愛、騎士の愛である。これがこの世界の姿なのですね。なんと精緻なる神の理……」
G:「いま、神からの光が私たちに降り注ぎ、私たちが等しく世界の相貌を眺めることができることを、私たちは神に感謝することにしましょう。」
S:「エイメン」
G:「エイメン」
「あなたがたは祈ろうとする時,次のように祈りなさい.
『天にましますわれらの父よ.願わくは御名を聖ならしめたまえ.御国を来たらしめたまえ.御こころの天になるごとく地にもなさせたまえ.我らの日用の糧を今日も与えたまえ.我らに負い目ある者を我らの赦すごとく我らの負い目をも赦したまえ.我らを試みに会わせず,悪より救い出したまえ.国と,力と,栄えとは,限りなく汝のものなればなり.アァメン』」
マタイ6・9―13,ルカ11・2―4