【膜間:サムライ】

天羅では,なぜ一人のサムライが,五千の兵に勝てるのだろうか

ホント,なぜだろう?

《作者》はこう語る:

 答えは簡単だ.五千の兵が勝つのは当たり前である.まったく驚くに値しない.
 まさしく,“話にならない”からである.
 我々が,そして君たちがこのゲームを通じて作るのは“お話”だ.
 そうだろう?
 一対五千という対立構造が成立した時点でサムライの勝利は動かないのだ.
 それは,何もお約束がどうとかの問題ではない.なぜなら,それを助けるものが天羅には存在しているからだ.そう,それが“気合”であり,その本質である“紗”である.

 う〜〜ん,〈そうだろう?〉なんてナレナレしく騙られても,よくわかんないヨ.

 だってサ,サムライの勝利,〈それを助けるもの〉すなわち〈“気合”であり,その本質である“紗”〉が天羅に存在する.だから〈一対五千という対立構造が成立した時点でサムライの勝利は動かない〉.のならば〈天羅では〉〈一人のサムライが,五千の兵に勝てる〉ことは〈当たり前である.まったく驚くに値しない.まさしく,“話にならない”〉ことにならないか?

 ……いや,わかっているのかもしれない,僕は.

 〈五千の兵が勝つのは当たり前である〉と判断している《視点》は,確かにあると思う.それは誰のものか.それは〈我々が,そして君たち〉の《視点》である.〈我々が,そして君たち〉とは〈このゲームを通じて〉〈“お話”〉を〈作る〉者たちのことである.我々,そして君たちの,“常識”――その《視点》.

 《まあ、難しく考えないで。最初はルール通り遊んでみることだな。それでどうにも納得できないなら、仲間内でルールを変えて遊ぶなり、他のゲームを遊ぶなりすればいい》.《そうだね。ゲームはたくさんあるんだし。不満たらたらで遊ぶ必要なんかないよね》.そうだよ.その通りだよ.……そもそも,そんなにイヤなら,見なかったことにして,やらなきゃあ良いんだよな.この〈ゲーム〉を.けど,なんだ? なぜかヤッているのだ.僕は,この〈ゲーム〉を.いったい,どこが良くて?

 ん〜〜〜,〈一対五千という対立構造〉とかいうシチュエーションは好きさ.

 けどね,そのとき〈一〉の勝利が動かないのならば,燃えないね.

 ……いや,ま,〈“気合”であり,その本質である“紗”〉を,どれだけ〈因縁〉に沿ったロールプレイによって獲得できるか,が『天羅万象・零』のゲームの鍵なんだよな.

 だから,上記の「〈一〉の勝利が動かない」という僕の表現は正当ではない.

 「“お話”になるような〈一〉の勝利,これを助ける“気合”を,〈我々〉そして〈君たち〉が獲得する.“お話”を〈作る〉だめに.それが,〈天羅〉という〈ゲーム〉でPC――上記の〈一〉――の勝利が動かない《可能性》を〈作る〉ことなのだ」.こう表現する方が正当だと思う.

 こういうのは(も),好きだな;少なくともキライじゃあない.だから,『天羅万象・零』をヤルのだろう.僕は.……けれど,そもそも『天羅万象・零』で〈我々〉そして〈君たち〉が〈作る〉〈物語〉って,なにサ?

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