<< 中世ヨーロッパの風景 >>

文責:左馬

< 騎士の宴会 >  コラム

【テーブルの話】

 中世の建造物はたいてい狭く、居住空間は貴重だったのに対し、食卓はかさばる代物でした。そこで、簡単に組み立てて片付けられるように、食卓の架台(脚部)と台板は別々の部分からできていました。慣用句として、"die Tafel aufheben"(「台板を持ち上げる」)が「食卓を片づける」意味になったのもこれが由来です。庶民の場合だと、食堂として用いていた部屋は食事場だけではなく、居間や仕事場や寝室をかねていたので、食事時以外は別のことに使われていました。
 真白く磨かれた木板、さらに大理石や象牙製の「固定された」食卓ともなると、高貴な人々の間でさえまれにしか見られない貴重品でした。



【アーサー王と孔雀の話】

 初期のキリスト教徒にとって、孔雀は極楽の鳥、不死の象徴だったそうです。だからこんなに飾り付けたのですね。なんでも、アーサー王は孔雀を上手に切り分ける達人で、一羽の肉を百五十人の客に配ったとか。ギネス記録です! いったい一人前はどれくらいになったのでしょう? なお15世紀以降、孔雀はより美味しい雉に聖なるシンボルの王座を奪われていきました。



【ビーバーと「かおじろがん」の話】

 四旬節の肉と魚の区別について、人々はいかに禁令を潜り抜けるか、いつも頭をひねっていたようです。そのよい例が、ビーバーと「かおじろがん」です。
 ビーバーは一生の大半を水中で過ごし、尾にはウロコがあります。それが口実となり、ビーバーの尾は魚の献立に仲間入りしていました。魚になったビーバーの尾は、禁欲を旨とする修道士たちの好物でした。かつてヨーロッパにもたくさん生息していたビーバーですが、今その姿をみることはできません。修道士の食欲、恐るべし。
 また、水鳥も動物の肉に含まれましたが、「かおじろがん」(barnarcle bird)という小鳥だと言い張れば、その鳥はいつでも食べられました。からくりはこうです。この小鳥は、海の流木に付着している貝の中で生まれ、殻をこじ開けて流木にしがみつく。成長すると、海の中へ飛び去る。したがってこれは普通の鳥ではなく、生来水の中に棲むので魚に分類される、という具合です。この眉唾な話は、ヨーロッパに海を越えて毎年現れる渡り雁がなぜ現地で繁殖している様子がないかを説明する仮説の一つだったのですが、かなり長いあいだ信じられていた節があります。理由はお分かりでしょう?



【ビールと蜂蜜酒の話】

 ぶどう酒とは対照的に、ビールは民衆の飲み物だとされました。ゲルマン人はすでに、大麦や小麦に薬味、薬草、蜂蜜を加えて発酵させたビールをつくっています。その後、発芽大麦を炙って乾燥させ、煮てから、麦芽をつくる煮出し汁にホップを付け足すようになりました。これが修道院あるいは都市のビール醸造所に受け継がれ、北ドイツでは1日1人3リットルも飲んでいたといわれています。
 蜂蜜酒は、古代ギリシアの頃からありましたが、ビールが普及するとともに影が薄くなっていきました。水と蜂蜜を入れて煮て、発酵したらホップとサルビアを混ぜてつくる、下層階級の主な飲み物でした。果実やぶどうや苺類の実でつくった果実酒(リト)も量り売りされて飲まれていました。



【一角獣の話】

 中世の専制君主たちは、料理にひそかに入れられた毒に対し、「一角獣の角」で柄を拵えたナイフが解毒剤になると信じていました。しかし悲しいかな、17世紀にトマス・ブラウン卿の研究により、「一角獣」とされていた角の持ち主が、実はインドろば、もしくは一角(いっかく)(雄は螺旋状の長い牙を持つ)であったことが明らかになりました。







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