第三回

1.消えたハンニバル
 ハミルカルを打ち破ったマルサラの戦いから2カ月が過ぎた。プルトニオスはシチリア島をほぼ手中におさめ、パレルモなど一部の都市がローマ領のまま残された。カルタゴ勢力の残党狩りなどが続いていた。その間に、各地の情勢に関する情報が届いていた。

 ・エジプトでは疫病が流行っているらしい。(「死神」部隊の活躍か)
 ・カルタゴではハンノン一派が勢力を拡大している。
 ・シチリア島攻略にハンノンの孫ドロクロワが派遣されるらしい。

 また、ローマには、イベリア半島の戦闘の真実が伝わっていた。

 ローマ軍のアッピウス勝利は誤報であり、ハンニバルが勝利していた。その後カルタゴの傭兵部隊は北へ向かった。その後の足取りは不明。

 シリアからは使者バイロンが来て、条約を結ぶなど婚約準備が整えられていた。詳細はわからないが、ギリシア、エジプトに不穏な動きがあるらしい。

 一方で、シラクサではアルキメデスが車輪付きの鋤を発明し、農業生産力が向上していた。

2. 2つの縁談
 シラクサはシリアの使者バイロンと条約を結び、有事には軍事協力する取り決めになった。帰る際に、特産物としてアルキメデス製作の機械人形を手土産に贈る。シリアの次はギリシアの豪商ジュリアン・ソロの代理人アルコスが船団を率い てやって来た。バルトロマイオスの婚約者ユリエナも同行しており、2人で象見物などして、楽しんでいた。

 どうもギリシアは不穏な情勢なので、ユリエナはこのままシラクサに滞在することに。一方、アルコスはプルトニオスに謁見していた。今後の協力を約束し、軍需物資などを搬入した。情報によると、ギリシアのフィリポス5世は武に偏った人物で戦争の気配が濃厚であるが、どっちの方面へ軍を動かすかは不明だった。

(このときは、陸路でイタリア半島へ介入するとはPCたちは思ってはいなかった)

 ローマの会議に参加してきた副官も戻って来た。カルタゴ本土を攻める。という決議がなされ、まず拠点であるマルタ島を攻めることになった。

3. 陰謀渦巻く
 カルタゴ攻め共同作戦を詰めるために、ローマからフラミニウスとマルケルスがシラクサへ来た。フラミニウスはローマ・シラクサの共同軍でマルタ島を攻めたいと主張するが、シラクサ側は指揮系統の混乱を理由に反対する。

 譲歩して、せめてマルケルスの部隊だけでも、マルタ島攻めに同行させたいと言うが、これも断る。結局、ローマ軍がサルディニア島を攻め、シラクサ軍がマルタ島を攻めるという2方面作戦になった。

 海戦の苦手なマルケルスはパレルモに駐留してシラクサ島防衛の任に就いた。軍議でのフラミニウスの態度にどうも不審なところがあると感じて、周辺を調査することになった。

 様子を伺うため、エレオノスが贈り物を届けに行った。すると、フラミニウスの屋敷の裏手からエジプト人が出てきた。エレオノスは一報を入れて、潜伏先の調査をまかせて、フラミニウスに直接聞いてみる。だが「エジプト人など知らない」とフラミニウスはしらをきった。

 深く追求するのは難しいので、とりあえず一旦戻る。次に、エジプト人の潜伏している宿に踏み込んで、捕縛して、尋問した。

 エジプト人達はエジプトの神官リスタルキスに連なる者から送り込まれた密偵で、任務はローマ・エジプト間の共同作戦の細部を詰めることであった。

 証拠として押収したローマからエジプトへ宛てた手紙には「作戦は予定通りに」と記されていた。

 ほぼ同時刻、フラミニウスはシラクサから逃亡していた。船を追うが、一歩遅く情報を得られず。マルケルスはフラミニウスの行動を一切知らされておらず、怒って戻っていった。(ローマは一枚岩ではないらしい。マルケルスは親シラクサ派にできる。)

 間に合わないかもしれないが、できる手は打っておこうということで、ギリシアへ対エジプト同盟の使者を送った。エジプトの動きを牽制するために。

4. 空しき前哨戦
 エジプトとローマの密約が気になるため、マルタ島を速攻で攻め落とし、しかる後に撤退する作戦を立てた。マルタ島をエジプトに明け渡してカルタゴに噛み合わせる計略を狙っていた。マルタ島の位置は、シチリア島から1日、カルタゴから2日、エジプトの前線から4日かかる。その距離も考慮して、日数を計算して作戦を実行する。

 1日目、移動。マルタ島駐留軍を率いるのは凡人だったため、2日目から5日目でマルタ島攻略完了。この戦闘中に、ローマ軍の動向情報が入った。ローマ海軍はサルディニア島へは向かわずに、北へ。イタリア半島へ戻って行った。その裏には、ハンニバル率いるカルタゴ軍がアルプスを越えて北から攻めて来たという事情があった。

 マルタ攻略後、エジプトからの使者がやって来た。予定通りにローマがマルタ島を攻略したと思って、フラミニウスが独断で結んだ約定の履行を求めて来たのだ。その密約は、罪人(アナクゼオン)を引き渡す、シリアとの婚約破談、という、とても承諾できない内容だった。フラミニウスの陰謀に怒り心頭に達するが、当人はおらず。

 とりあえず、エジプトの使者をエレオノスが斬った。そして、ローマ本国での政争で親シラクサ派が勝つようにとの深謀で、密書を「友好の証」としてマルケルスに預けた。この密約には、執政官の偽造署名がなされていたのだ。フラミニウスの罪は重い。執政官マルケルスは、ローマの急を聞いて帰還した。

 ほとんどの軍勢が引き上げてから攻略戦8日目にエジプトが2万の軍勢でマルタ島海域に現れた。残しておいた囮部隊は「空城の計」で脱出。マルタ島は戦わずしてエジプト軍の手に落ちた。

5. シラクサの命運この一戦にあり
 マルタ島に進駐したエジプト軍とカルタゴ軍を争わせる計略を仕掛けたつもりだったが、カルタゴ軍は、これを見破り、マルタ島を素通りしてシラクサへ攻めて来た。2つの軍を目の前にして、プルトニオス王にとってこれまでの生涯で最大の危機に陥った。これに対する軍議で、3つの作戦案が検討された。

(1) 強行突破作戦
 シラクサ沖でカルタゴ軍と戦い、次いでエジプト軍と戦う。

 長所は、兵力以外の犠牲は最小限で済むこと。短所は、武運に頼り切っていること。場合によっては命数までも賭けることになる。

(2) 苦肉の策
 シラクサを犠牲にしてカルタゴに負け、アナクゼオンがカルタゴに投降して軍師となる。アナクゼオンが協力するカルタゴ軍がエジプト軍と戦い、その後でカルタゴを裏切る。

 長所は、作戦案の中で勝つ可能性が最も高いこと。短所は、首都を捨てる事でプルトニオス王の名声が地に落ちること。逃げ遅れた市民が犠牲になる可能性があること。アナクゼオンがカルタゴから戻ってこない可能性があること(笑)
「民衆にとっては、支配者が変わるだけ」という意見もあった。

(3) 篭城戦
シラクサに篭城して時間を稼ぎ、シリアやギリシアへの救援を待つ。

 長所は、正面突破よりかは兵力の増強が見込めて、勝つ可能性が少しあがること。短所は、時間との戦い。シリア軍がいつ到着するかわからない。ギリシアからは援軍が出るかどうかすらわからない。

 結局、1案を採用した。首都を放棄し逃げる事はできない。そして、民衆を犠牲にすることはできない。名も実も惜しいプルトニオスは命を賭けて戦い決断をくだした。

6. 背水の陣
 カルタゴは軍を分け、主力がシラクサを攻めると同時に西のマルサラも攻める。マルサラからは救援要請がくるが、シラクサはそれどころではない。カルタゴ軍は天時を得て、快調に攻め続ける(GMの6ゾロが2回)。

 しかし、後のないシラクサ軍の粘りが運気の流れを変えた(GMの1ゾロ)。なんとか押し戻して敵将ドロクロワとエレオノスとの一騎打ちに持ち込んだ。ドロクロワはマルタ島の計略を見破ったほどの智将である、そのため白兵戦には弱かった。一騎打ちに勝利し、辛くもカルタゴ軍を退けた。

 この戦いの間に、ローマがイタリア半島北部の戦いで敗北したという知らせがあった。シリアからの急使は、シリア軍の加勢まで1か月待てと伝えて来た。

 なお、エジプト軍は偵察艦隊を送って、両軍の動きをじっくりと観察していた。海戦慣れていないエジプト軍は、シラクサ南部に上陸して、陸路で向かって来た。突撃型の武将の猛攻に攻め込まれ、エレオノスと一騎打ちになる。

 幾多の敵将を破って来たエレオノスだったが、とうとう敗北。辛くも命だけは助かった。プルトニオスが命数を削って、起死回生でなんとか敵軍を城外へ戻して、仕切り直し。突然、天が味方し(GMの1ゾロ) 突撃が外れたため、幸運にも勝利した。こうしてシラクサは何とか防衛された。シチリア島の西部都市も取り戻した。

 この戦いの間に、イタリア半島ではカンネーの戦いが行われていた。ハンニバル率いるカルタゴ軍+ガリア傭兵部隊によって、ローマ8万の軍勢がほぼ壊滅した。率いていたファビウスは行方不明という。ローマに明日はあるのだろうか。

 そして、カルタゴの名将ハンニバルが南下してくる。シラクサ王プルトニオスと相見える日がくるのだろうか。

7.新兵器ソーラ・システム完成?
 戦闘がほぼ終結した頃、アルキメデスの新発明が提案された。大きな鏡によって太陽光を集めて、敵の船を焼くことができると言う。ただし、大きいので据付け後の移動は不可能。拠点防衛にしか使えない。カルタゴ艦隊に対する防衛戦のときにあれば役に立っただろうが・・・シラクサ軍の主要人物達は声を揃えて「遅い!」と口にした。

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